うつ病に対する社会の理解は深まってるの?
- 2007年6月26日 23:24
- Category : sickness
昨日はNHKスペシャル(ガッカリな内容だった! あんなケアできるのは大企業だけで、それ以外の労働者は救われない感がした)、 今日は高島ファミリーと、最近うつ病のことが取り上げられるのをよく見かけるようになったので、 一応まだ現役抑うつ状態の私としてはちょっと気になったりします。
テレビを見て思ったのは、
- お金があると自宅で治療に専念とか出来るんだなー
- 家族も大変なんだなあ(自責の念とか)。私もそうだったんだろうか?
- 医者との相性は本当に大切だ
- 頑張れって言わないで欲しいと心から思う
こんな感じですかね。
母も一緒に見ていたので「私が入院してた頃ってどんな感じだった?」と質問したら「先天性の病気じゃないから、
時間はかかるけど良くなると思った」だって。
さすが私の母親だと思いました。
で、見終わった後にいろいろ考えたんだけど、やっぱりうつ病って完治するまでは時間かかりますよ。
私はどれぐらい治療してるのかな~と思って自分の病歴を振り返ってみました。
内容的には痛いので、痛いのとか注射とか嫌いな人は以下注意。
トミナガの抑うつ状態治療歴
2001年12月:
初診。
自律神経の異常かなと思って内科に行ったら大きい病院を紹介されたので、非常に驚いた記憶がある。結局内科→耳鼻科→精神科と3箇所回る。
検査代で何万円も飛んだような。
2002年5月:
はじめて休職する(10日間)。自傷行為が始まる。カッターで手首切ったりしてました。まだ傷は浅かった。職場に戻ったら仕事山積みだった。
何も変わりやしねぇ。
自殺現場に始めて遭遇したのもこの月。
この頃から自殺を考える回数が飛躍的に増えた。
2002年5月29日:
1回目の入院。
前日の日記で友人に宛てて「死ぬことはあまり怖くない」と書いていた。
2002年9月14日:
退院。直後に仕事復帰してガタガタに。会社から「病欠が長引くならいったん退職してくれ」と言われていた。今聞いたらウソみたいだけど、
本当の話。
ここで躍起になって無理に復職したのがアダになった。リストカット重症化。
2002年12月:
退職。この職場ではやっていけないなと思った。10月の下旬に母親で電話し、
退職の旨報告。泣いて喜ばれる。どんな会社だよ!
この頃の処方薬は歴代MAX量の1日約30錠。
2003年1月:
睡眠リズム障害改善、減薬目的で再度入院。
ちなみにこの頃からMT導入。好きなことをする意欲だけは突出してあった。本当に病気だったんだろか?
2003年8月:
「うつ病患者のつづる日記」として、日経ゼロワンに掲載される。リストカット最盛期。今腕に残っている傷はこの時のもの。
2003年9月:
7ヶ月に及ぶ入院生活を終える。
その後自宅療養に。
退院の理由は「病棟内で元気すぎるため」。何だそりゃ。
2003年10月29日:
1回目の自殺未遂。
睡眠薬、精神安定剤、筋肉弛緩剤などあわせて130錠以上を一気飲み。
当時の恋人が異変を察して家族に連絡してくれた模様(記憶なし)。夜間診療で点滴されて帰宅。
2003年11月:
自宅にこもっていると思考が悪いほうに向かいがちなので、短期のアルバイトに行く。
肉体労働系。頭をあまり使わなく、ただ体を動かす仕事だった。結果的にこのアルバイトをやったことはとても良かった。
2004年4月:
担当医変更、2度目の自殺未遂。あれほど簡単だと思っていた首吊りに失敗して気絶してしまった。
その後の外来診察で
「今度自傷行為、自殺を図ったら以後の診察はしない」と約束する(これはこの先生との間では、最後まで守り通した)。
2004年5月:
ずっとやりたかったグラフィック系の勉強のため、市内のスクールに入学。
ちなみに2回目の自殺未遂は、さんざん考えた挙句親に「スクール行って転職したい」と決めたことを凄い勢いで反対されたから。
もう私の進む道はないと思って物凄く激しく絶望した。家族にも理解されないないんて、って。
2005年1月:
無事にスクール卒業。
自分の感情のコントロールがまだ上手く出来ていなかったころ。勉強は辛かったけど、好きでやりたいことだったし、自分で決めたんだ!
と思って頑張った。この頃には自傷行為はほとんど見られなかった。
2005年4月:
制作会社に入れなかったので、自宅でSOHOとして仕事開始。
2006年11月:
かねてから念願だった制作会社に入社。
試用期間は乗り切ったが、その後過労・通勤時間・メンタル面での不調サインが出てきたため、2007年2月に退職してしまった。
ただ、採用側が「この人を雇おう」と思ってくれたことは自信になった。
ブログエントリ内容少々変化(というか制約? 投稿済みの記事を削除したり)。会社員としての自分と、自分の「個」の両立のバランスが取れずに悩む。この頃から、自分はブロガーなんだなぁと考え始める。
転職に伴って担当医変更。
2007年3月:データエントリーのバイトを1ヶ月担当。ここでは成績を評価され、また社会復帰できるかもという自信になった。
2007年4月:
再度SOHOとしての活動を開始。体調と相談しながらの作業のため、収入は低レベル。しかし気分の余裕が持てるという、金銭以上の「健康」
という価値を得ていると思っているので、そんなに辛くない。
2007年6月:
もう自分は完治したのかな? と思う反面、感情のゆれが一時的に激しくなったりするのでまだまだかなと思う。
↑今ここ
再発はやっぱり怖い
ここまで書いて、約6年半? まだまだ治療にはかかりそうですね(笑)。
やっぱり私が一番懸念しているのは「再発」です。
できれば、昨日のNHKスペシャルも、今日のドラマも、フラッシュバックみたいのがあってまた、大号泣しちゃうから、
見ないほうがいいのかなと思ったんだけど。
ショック療法みたいなもんで、今は大抵は平気になりました。冷静に「自分の時はどうだったかな?」って考えられるようになったし。
でもまだトレドミンとデパスと睡眠薬一式は手放せないし、頓服の精神安定剤も必要な生活です。早く薬やめたいなとも思うけど、 焦って処方変えるといいことないもの散々やってきてわかっているので、今はこのままでいいかな、って思っています。
薬やめてもとの坂を転げ落ちるよりは、薬飲んでるほうがずっとマシです。
たとえ、出産できなくても。
会社に就職したりできなくても。理解してくれて、ケアしてくれる会社なんてそうそうありませんよ、私の知る限りでは。
産業医がいるっていうのは、ごく一部の大手企業だけでしょうね。
周囲にいる人に理解してもらうのが回復の一番の近道
家族には、とても辛い思いをさせたんだなぁと、とても申し訳なく思っています。
私と弟の関係がギクシャクしてきたのも、入院してた頃からだったし、母親は「どうしていいのかわからない」と言ってはよく泣いていました。
ただ、私の家族、両親、友人、当時の恋人は、私の状態を理解しようと、最大限に努力してくれたなと、
今考えてみるととてもありがたい気持ちになります。
あの頃は私は余裕がなかったから、「今会いたくない」「どこにも行きたくない」と、ワガママなことばかり言って
(しかしこれは病気の症状なんだけどね)、みんな困ったんだろうなと思います。
それを、理解してもらって、「気楽にやろうぜ」っていうスタンスで接してもらえると、患者としてはとてもあり難いかな。
「行きたくないなら今度にしよう」「だるいなら横になったら」って言われると、たぶん泣いて喜びます(笑)。
というのは冗談だけど、無理させないことの重要性については、長くなったので改めて語りましょうか。
うつの人に「頑張って」はプレッシャーで、言ってはいけない言葉です。このことがあちこちで語られているのは、これが真実だからだよ。
次はこの件について続きを書きたいなと思います。整理してからね‥‥。
鬱と精神疾患を知るための参考書籍
「ツレがうつに‥‥」は平易でわかりやすい内容。身近な人がうつになって、接し方がわからない人に。「職場のうつ」は、会社の上司・同僚・先輩などに患者さんがいる人に。具体的な治療についてのセクションもあったと思います。内容はちと固め。
「失踪日記」は主にはアルコール依存について。後半、精神科病棟に入ってからがすごい。グイグイ引き込まれて読めます。読後感は保障しませんが。
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メディアが何をやっているのかは見ていないのでわからないのですが、メディアで話題に上っても理解が深まることはあまりないように思います。
手話ブームというのがありました。聴覚障害者がドラマの題材になったりしましたが、ステレオタイプを広めただけで理解は深まりませんでした。
私もうつ病ですが、その点に関しては絶望視しています。
by きせのん : 2007-06-27 / 8:17
治療歴の始まりを拝見したら私が鬱になった時期と近く、ちょっと驚きました。
私も鬱になって6年が経過しましたが、完全に回復というまでにはなっていないですね…(体調によっては再発?と思うときもありますし)。
周囲の理解や協力を得ることも結構大変ですけど、あきらめずに鬱と向き合っていきたいと思ってます。
(私も近いうちに自分の治療歴を書いてみたいですね。)
by sinnchan : 2007-06-27 / 23:21
昨今ですが、
平成19年度 第1回 健康・医療情報公開講「こころのかぜ“うつ病”」「まちの保健室」@東京都立中央図書館 4階 多目的ホール
http://www.library.metro.tokyo.jp/1n/1n11.html
で講演聴講と質疑応答を聞き、
日テレドキュメンタリードラマ「うつ」への復讐 絶望からの復活 2007/6/21 21:00-22:48UTC+9:00 デジタル地上派放送
http://www.ntv.co.jp/fukushu/
も観ました。
前者の講義の方は、うつとは、鬱病とはというところと、必ず直るという結論づけで
個人的な感想としての印象は、初期うつ、うつ状態など、職場や家族にそういう傾向があったときの、西洋医学的な分類と、年齢世代別傾向と治療を受けた患者人口統計。それに終始した感がありました。
漢方は専門外と回答、医者との相性はあるのは同感でしたが。
未知数な部分はもちろん議論できないのですが、聴衆の中の質疑応答、また直接講義後のドクターとの会話を聞く限りには、もうこころを病める人も、それを囲む家族こじれていて
1)難治性鬱をどうしたらいいか?
2)家族もぼろぼろ
3)社会の中で、自立支援するための施策
4)セカンドオピニオンとしての漢方はどうか
5)精神障害者として精神障害者ホームで人生を送るという選択肢
このあたりを議論ができないのに、いらだっている感じは見られました
(つまり講義タイトルと聴きに来ている人のニーズがマッチしていないという印象です)
後者のドラマは、自分もフラッシュバックはあるかなとみましが、実際ちょっと泣けたものの、ドラマの2時間以内の時間的な「しゃく」で脚本も終わらせてしまうこと、途中CMが入るというところで、厳しい鬱病の現実とは違う、逆の残酷さを感じました。
うつのスタンダード的な紹介はできたのは、意味ある番組に感じ共感を得た人も数多くいるのだろうなと思いました。
実際、生活の上で、高島ファミリーは、このドラマ完成・放送に至るまでに、ドラマ以上にもっともっとしんどいし、ご本人も苦しいだろうと思うと
むしろそちらの方で泣けてきてしましました。
また図書館で借りてよんでみていたのですが
エビデンスに基づく難治性うつ病の治療
http://www.amazon.co.jp/エビデンスに基づく難治性うつ病の治療-野村-総一郎/dp/4880026565/ref=sr_1_1/250-0620553-9792249?ie=UTF8&s=books&qid=1182994646&sr=1-1
などを見るとステージVまで来ている状態の患者さんとなると、なかなか完全寛解も大変だろうなと思います。
あたしは医学者ではないので、論文も検索で調べながら読む感じなので難しいですが、
治るという人もあれば、治らない/治癒ではなく寛解というべきだという人もあれば、
うつの患者さんとして生涯を生きそれで静かに人知れず終わりたいという人もあり、
とても現実は難しいなと感じます。
また社会的救済措置としての政策課題として、また精神障害者の方の現実から考えると、障害厚生年金全般が総額として減らされていき障害者自立支援法の名の下に、どんどん治るものとして話がすすんでいきがちなことや、
厚生年金すら、年金登録が不完全だったりとそれも手痛いなというのが今の思いです。
実態ボランティアで知的障害者や精神障害者の施設のお掃除とかをする日があるのですが、身体障害者の自立支援とは違い、
社会的な偏見や、採用時のご縁がないのが多いというのが印象的な感じです
あるいは成年後見人とされてしまい、生活保護で暮らすしかないという方を思えば
おっしゃるとおり、持てるお金が沢山あれば、ある程度自宅療養できるというのはあるとおもいます。
また社会的な立場上、うつを背負ってしまう方、(地方の有力な方(地元に一つしかない開業医の院長さんとか)や、昇格昇進うつなど)
こういう人たちを社会や会社がメンタルヘルス教育なりケアする環境整備なりがまだ十分には出来ていないか、
ばりばりに働くのが、しんどくなったら、永続企業は、他の歯車で前に進みがちな企業も少なくない現実をしっていて、大変だとも思います。
(産業医を置いて、メンタルヘルスチェックをしますし、長時間残業者は血液検査など義務づけている社内の内規で、守られる大企業の社員は確かにいると思いますよ)
治りたいし、治るのか、それは誰も知らないのでしょうね。
あたしに限っていえば、我、苦しむが故に、我在りを実践するのと
先だって死んでしまった者たちのことを思えば、生きてこそと思い生を全うするのも
生き恥かもしれませんが、いいのかなとそっと生きてみようとは思っています。
駄文失礼しました。
by takeratta(tm)* : 2007-06-28 / 11:04