別離

とうとう一回も日記を書かないまま9月が過ぎ去ってしまった。

8月の終わり頃、9月下旬に講師の仕事を紹介して頂く機会があって、せっかくなので引き受けて準備をしているうちに、入院中の祖母の容態が突然悪化。
2回までは講義をやった所で「もう時間の問題」と言われ、悩みに悩んだ結果、残りの授業を他の先生にお願いして離れる事にした。
信頼出来る人が「冨永さんなら」と紹介してくれた案件だったので、本当に辛かったし迷惑をかけたことがとにかく心苦しかった。

祖母は4人部屋から個室の病室に移り、私と両親が交代で病室に様子を見に行った。高齢のせいもあってどんどん抵抗力が弱くなり血液の感染症にかかっているので、病室に入る時はマスクとゴムの手袋が欠かせない。私達家族でさえ、直接手や顔に触れることはできなかった。

幸い、病院は自宅から車で10分程度の場所だったので、朝昼晩、祖母の様子に合わせて一日に何度か病室と自宅を行き来した。
自宅に戻っても、いつ病院から「容態が急変した」と連絡があるかわからないので、お風呂や食事もゆっくりできない。電話が来たらすぐ出ないといけないので、私は9月中はほとんど音楽を聴かずに過ごし、寝るときにも枕元に鞄と畳んだ洋服を置き、睡眠薬を飲まずに横になった。

一週間以上そういう生活が続き、9月の下旬に祖母はとうとう肺炎に罹患してしまった。度々40℃近い高熱を出し、苦しそうに息をする姿を見るのはとても辛かった。
そして9月28日、夕食の支度をしている時に病院から「至急来てほしい」と連絡があった。家族で駆けつけると心拍数はいつもの半分...。

当直の先生が「一度心停止している。持ってあと1〜2時間」と仰った通り、私達が病室に入った2時間後に祖母は息を引き取った。

私はその場で泣きはしなかったけど、もう祖母が家に戻らず、話をすることも出来ないと思うと、とても寂しかった。その次に出てきたのは、もっとしてあげられることがあったんじゃないだろうか、という後悔の気持ちだった。
自宅で仕事をしながら高齢の祖母のサポートをするのはとても大変だった。イライラしたり大声を出すこともしばしばだったけど、どうしてもっと優しく接してあげられなかったのか...。
祖母が亡くなってから後悔する事ばかりが頭に浮かぶ。

でももう遅い。

私が祖母にとって良い孫だったかどうかは分からない。でも、可愛がってもらった事は確かだし、そのぶん供養を続けることでこの後悔の気持ちをなくすことができるんだろうか?

葬儀は家族で協力して出しました。
今、四十九日まで自宅に祭壇を作ってあるけど、手を合わせるときは心の中で謝ってばかりです。

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夏フェス終了
東京行ってきました。